オピニオン7:大阪府の『文化への補助金削減』で考えた。
未曾有の財政危機に直面している大阪府にあって、橋下知事の大胆な挑戦は、度々メディアで紹介されている。先日の日経新聞に掲載された「文化活動に対する補助金」をめぐる知事と芸術系の大学生との討論会でのやり取りは実に興味深かった。学生たちは「楽団は頑張っている。援助は続けて」と知事に訴えた。
最初こそ、この意見に同情的な空気が場内に漂っていたものの、知事の次の質問で雰囲気は一変した。「文化は本当に根付いているの?」そして、知事は畳みかけた。「需要がない文化にも助成金を出せという文化人たちをどう思う?」この質問でとどめを刺され、もうそれ以上の嘆願の声は聞こえなくなった。
私は、橋下知事の発言はもっともだと思う。むしろ、大賛成だ。府民に本当に根付いていないのなら、また、府民が心から望んでいないとしたら、文化や芸術の事業に大切な血税を使うべきではないのだ。
しかし、現実には、いろいろな局面があることも看過できない。この数十年で「芸術振興」を掲げて、国や自治体は、夥しい数の「ハコモノ」を建設し続けてきた。英国の公共の音楽ホール数は50に満たないそうだが、日本では、その数3,800を超える膨大な数字となっている。建設費も数十億に始まり、最大はバブル時代に旧都庁跡に建てられた「東京国際フォーラム」の1,680億円という巨額なものまである。そして、無視できないのは、建設費とともに毎年の施設維持のための管理費である。
府民、国民は、果たして「文化」に関わる壮大な「ハコモノ」を望んできたのか。
橋下知事が本当に無駄を削ろうとするなら、膨大なハコモノの管理費や文化振興に関する役所の膨大な人件費こそ、最初の削減の対象ではないか。巨額なハコモノや管理費、役所の関連の人件費に比べると、アーティストへの補助金など、極めて少額だ。
一方、「ハコモノ行政」について、今になって私たち市民が批判の声を上げるが、それも何ともむなしい。何故なら、私たちはこれまで右肩上がりの日本経済の大躍進に高揚し、行政の「無駄な大盤振る舞い」の進行に無関心を装い続けてきたからだ。大いなる無駄使いも、すべて私たちが選挙で議会に送り込んだ政治家たちによって、最終決断が下されていた事実は今一度、心に刻んでおかなければならない。無関心はそれだけで、罪である。
「愛の反対は、憎しみではなく無関心です。」・・・マザー・テレサの言葉
事務局長 古木 修治
最初こそ、この意見に同情的な空気が場内に漂っていたものの、知事の次の質問で雰囲気は一変した。「文化は本当に根付いているの?」そして、知事は畳みかけた。「需要がない文化にも助成金を出せという文化人たちをどう思う?」この質問でとどめを刺され、もうそれ以上の嘆願の声は聞こえなくなった。
私は、橋下知事の発言はもっともだと思う。むしろ、大賛成だ。府民に本当に根付いていないのなら、また、府民が心から望んでいないとしたら、文化や芸術の事業に大切な血税を使うべきではないのだ。
しかし、現実には、いろいろな局面があることも看過できない。この数十年で「芸術振興」を掲げて、国や自治体は、夥しい数の「ハコモノ」を建設し続けてきた。英国の公共の音楽ホール数は50に満たないそうだが、日本では、その数3,800を超える膨大な数字となっている。建設費も数十億に始まり、最大はバブル時代に旧都庁跡に建てられた「東京国際フォーラム」の1,680億円という巨額なものまである。そして、無視できないのは、建設費とともに毎年の施設維持のための管理費である。
府民、国民は、果たして「文化」に関わる壮大な「ハコモノ」を望んできたのか。
橋下知事が本当に無駄を削ろうとするなら、膨大なハコモノの管理費や文化振興に関する役所の膨大な人件費こそ、最初の削減の対象ではないか。巨額なハコモノや管理費、役所の関連の人件費に比べると、アーティストへの補助金など、極めて少額だ。
一方、「ハコモノ行政」について、今になって私たち市民が批判の声を上げるが、それも何ともむなしい。何故なら、私たちはこれまで右肩上がりの日本経済の大躍進に高揚し、行政の「無駄な大盤振る舞い」の進行に無関心を装い続けてきたからだ。大いなる無駄使いも、すべて私たちが選挙で議会に送り込んだ政治家たちによって、最終決断が下されていた事実は今一度、心に刻んでおかなければならない。無関心はそれだけで、罪である。
「愛の反対は、憎しみではなく無関心です。」・・・マザー・テレサの言葉
事務局長 古木 修治
(写真:2008年8月6日 日本経済新聞より)


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