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2008年8月25日 (月)

オピニオン6:大田農水相発言と「市民の社会的責任」

昨今、公務員、政治家、教職員に対する不信感の高まりから、彼らの行動や発言に対しては、世論は敏感に反応するようになった。不用意な発言は、すぐにメディアに取り上げられ、批判や弁解が飛び交う。

先日、大田大臣は、ギョーザ事件に関連し、「厳しい態度で臨むのは消費者がやかましいから」と発言し、物議をかもしている。野党は「国民を愚弄した」として、批判の語気を荒げ、与党の責任者は「発言の意図が誤って伝わっただけ」と弁明している。しかし、これらの意見は、双方とも、本質から外れたものではないだろうか。

私は、大田発言は極めてまともで正直なものと感じていて、釈明は不要だと思う。今回、唯一の救いは、大田大臣が「発言の撤回も訂正も弁解もしない。これから、しっかりと頑張るだけ」と発言したことだ。

政治家は、当選したからと言って、白紙委任状を国民から取り付けたわけではない。

私たち国民は、自分たちが選んだ政治家が、当選後、しっかりと公約を果たしてゆくのか、厳しく見守る義務があることを決して忘れてはならない。

大分県教職汚職事件のように、背景に政治家に不正な依頼をする有権者がいたことは、明白だ。表面的に政治や行政をむやみに批判することは、何ら改善を産まない単なるフラストレーションの解消にしかならない。常に、国民の厳しい目が向けられなければ、強大な権限を託された政治は、腐敗へと進む危険性は必ずあるのだ。民主主義は、その国民のレベルでしか存在しないことを改めて考えさせられる。

残念なことに大分県の事件は、氷山の一角で、おそらくこのような汚職がない自治体のほうが例外的であろう。私たちは、これまでこれらのことを見て見ぬふりをしてきたのではないか。

結局、市民の社会的責任(CSR)が、問われているのである。

公職にまつわる諸問題では、自浄作用は期待できない。

市民が社会での出来事にもっと関心を寄せ、

問題解決に対し、わずかでも行動することからしかないのだと改めて考えた。

すべてのことは、願うことから始まる。

マルチン・ルター

なにかを願うなら、あわせて行動すべし。

アフリカのことわざ

注)CSRとは、一般的には、「企業(Corporate)の社会的責任(Social Responsibility)」を指すが、筆者は、市民(Citizen)の社会的責任も大変重要と考えている。

事務局長 古木 修治

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